趣意書

熊本における医学教育の源流は、宝暦6年(1756年)肥後藩の細川重賢公が創設した医学寮再春館まで遡ることが出来ます。 明治4年(1871年)藩立医学校が創立され、まもなく廃藩により、 官立医学所兼病院(通称:古城医学校)と改称されました。

その後、県立医学校、私立九州学院医学部、私立熊本医学校、 私立医学専門学校、熊本県立医学専門学校、熊本県立熊本医科大学、官立熊本医科大学と受け継がれていき、昭和24年に国立大学設置法により、熊本大学が発足し、熊本大学医学部 となり現在まで受け継がれております。

このような伝統の下、本学医学科は、これまでに1万人を超える卒業生を輩出しております。卒業生の多くは、全国の医療機関において医師として活躍するとともに、数多くの医学研究者も輩出してまいりました。しかし平成16年(2004年)に卒後臨床研修が義務化された以降、大学院に進学する医学科卒業生が減少しております。その結果、基礎医学研究を担う若手医師が減少し、基礎研究の推進が困難となっております。この問題は本校だけでなく、我が国の多くの医学部が抱える問題であります。

本学大学院医学教育部ならびに医学部では、本学医学部の源流に当たる官立医学所兼病院(通称:古城医学校)の卒業生であり、世界に誇る医学研究医師である北里柴三郎博士のように世界で活躍する医学研究医師を育成することを目的として、2012年から博士の名を冠した「柴三郎プログラム」を設置しております。本プログラムでは、医学生が医学教育を受けながら、あるいは大学院生が卒後臨床研修を受けながら研究を実践できる環境を与え、研究の指導および支援をいたします。本プログラムは、平成24年度(2012年度)~平成28年度(2016年度)の5年間で文部科学省の「医学・医療の高度化の基盤を担う基礎研究医の養成」事業に採択されました。本事業による財政支援期間終了後は、「大学院医学教育部 柴三郎プログラム基金」を財源とし、事業を継続しております。

この基金は、柴三郎プログラム発足にあわせ、学内外に広く募金を募り、その厚志をこの基金にプールし、恒久的に、学生の奨学金、海外派遣支援、研究成果発表支援、ならびに研究支援等に活用することといたしております。来たる2024年は、北里柴三郎博士の肖像が採用された新日本銀行券(千円札紙幣)が発行され、新札の顔である博士の御業績が改めて脚光を集め記念となる年を迎えます。柴三郎博士は元々軍人か政治家にでもなろうと外国語を学ぶために古城医学校に進まれましたが、恩師であるマンスフェルト先生との出会いの中で、顕微鏡を覗いているうちに気持ちの昂りを覚え、「また医学、学ぶに足る」と思われ本格的に医学の道に進まれたと記録に残っております。現在、本学で学ぶ多くの学生にも、博士と同じ出会い、感動が経験できるよう博士の名を冠した本基金を活用し、博士のような研究医師を育成し、これまで先輩諸氏が築いてこられた本学医学部の特色である世界的基礎研究を推進していく所存でございます。つきましては、卒業生をはじめ、広く財界その他諸方面の皆様には、何卒、本趣意をご理解いただき、格別のご支援、ご協力を賜りますよう心よりお願い申し上げます。

なお本基金は熊本大学基金を通じましてお申し込みいただきます。寄付額の5%を同基金による大学事業推進のために繰り入れさせていただきますことを申し添えます。

               熊本大学大学院生命科学研究部長
大学院医学教育部長
医学部長
柴三郎プログラム運営委員長  尾池 雄一

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